以前、友人のささやかな誕生日会の時に、職人を記録したいと、ふと言っていた事を思い出す。
先日、友人の誘いでOさんの別荘がある山中湖に行ってきた。特になにも考えずただ面白そうだから、と言うのと、東京から離れる機会が久し振りだったから乗れる時に乗っておこうということで。
アトリエの作業も中途半端だったけどGWもほぼないに等しかったから嬉しかったのです。
で、自然と戯れ、満天の夜空を眺め、富士山のデカさにわぁー!となり。
あと、泊まった所の近所の画家さんと暫し交流を。
犬と二人で11年近く其処に住んでいて、2・3ヶ月人と話さないことも普通。だからウチらが訪ねたのが嬉しかったらしく話は止まらない。其処に住む前はスペインに12年間住んでいて
今はお金の贅沢はないけど時間の贅沢はさせてもらっていると。一人で毎日自然と語り合い、絵を描くという実験というか遊びをしている。
殆ど誰もいないから冬には犬と二人で裸で雪と戯れそのまま風呂に入ったりとか。
なんか自然というか、東京に住んでいる僕らとは全然違った時間軸で過ごされているなーと感じた。
特にそれは東京に帰って来てJRに乗った時に凄く感じて。
そしたら、その人を写真にしておきたいなという感情が自然と湧いてきたのです。今までは結構受身というか、バンドとかも色々撮影させてもらってきたのですが、それは音楽ありきで撮っていたのだけれど、初めて"人"と向き合って撮ってみたいと思えた瞬間でした。かなり時間のかかるプロジェクトだし、行くのにも時間かかる。フラッと寄って撮るなんてことは出来ないし、押せば写る写真だけに"瞬間"とその人と僕の"時間"は慎重にしなければいけない。記録であり記憶になること。
とても貴重な体験をさせてもらったGW。出会いと別れは瞬間であり永遠である。其処に写真があるのではないのか。